「KILIG」と「私」と「デシタル」の関係について

2018.09.05

KILIGという場所の説明は一言でいうと
「温度のある場所」だと思う。
この世の中によくあるファンクラブという言葉ではおさまりきることができないもので可愛いクラブ活動でもないし、単なる公開女子会でもない。
握手をして、はい、終わり。でもない。
ちゃんとあなたがいて、私がいて、私達がいる。
そんな大げさなことが感じられる場所。
青臭いというか、青春というか、人間ぽいというか
人間くさいというか。照れ臭いというかね。

 

今この世の中にはすぐ近くにたった今もSNSという存在は息をするのと同じように私達のすぐそばにある。SNSのツールが進化しすぎたせいで私達同士は
今あなたが何をしていて、今私は何をしているのか、簡単に親指一つで発信できるようになっている。会っていなくても会った気になり、話していなくても話している気になって、どうでもいい情報もどうでもよくない情報も毎日、本当に毎日溢れすぎている。それが良いことなのか、良くないことなのかといったらそれはどちらでもない。どちらでもないけれど、どちらでもよくない。

 

けど私はデジタル化し続けているこの世の中に対してそれだけが拡大していると思っていない。私が思うにデジタル化と同じ速度で人は「温度」を求めている。自分自身のまとまりきらない曖昧な感情をSNSの中で写真に言葉を添えてリアルタイムに更新することによって自分自身を確認しては無意識に人との繋がりを向こう側の人達に求めては繋がっているという安心感を求めている。イイねを押したり、押されたり、SNSを通してイイねの数で自身の価値を無意識に判断しては、その判断が余計に人肌を恋しくさせてしまっている。

 

本来SNSは考えなくていいこと、考えたくないことは考えずに削除できるシステムで、見たくないものは見なくてもいいし見ることも見せないことも可能という、システム的にいうとSNSには一切の無駄がなくとびきり自由で自分自身に都合がいいものでしかない。なのに、毎日の習慣のようにSNSを開いては不透明な数字に1日を左右され、自分の心情さえも左右されている人もいる。それはまるでシステムというゾンビに噛まれてしまったかのようで、生きているのに死んでいるかのような状態の中、不自由という世界で自由を今日も探し彷徨っているのだ。となると結局の所SNSは「SNS」でしかなく、自由であるはずのSNSに自由を奪われてしまっている。

 

けれどSNSの中では簡単にコメントが返せたりあの人にメール送ることができたり、その箱の中では自分の気持ちを素直に言葉にすることができるという現象がある。
SNSという目には見えない壁があるおかげで何か自分を守れているような気に
なっている、できれば傷つきたくないからね。

 

でも私はSNSではない場所にこそ自分自身という人間は存在していると思う。人に会ってこそ、その人の感情がはっきりと目に見えたりその人を通して自分の感情が見えたりする。その人と自分の間にある瞬間にこそ、私達はまさに人間として生きている。生きているからこそ、「私」にとって都合が悪いことは当然のように起こる。
会ったら話せなくなったり、伝えたいことが言えなくなったりする
でもそういうモヤモヤとしたまとまりのない感情というものは目の前に誰かがいてこそ生まれる感情であり、分かり合えないものだからこそ、私達は分かり合いたいと思う。それはやっぱり人がいてこそ分かり合える言葉であり分かり合えない言葉がある。そういう「あなた」と「私」の中に(間に)温度のある感情が生まれるからこ
私達自身は作られていき、私自身になっていく。

 

だからといってデジタルというものをこれから先も失くすことはしない。
それは私達の繋がりの一つの形でもあると素直に思えるからね。
だったらデジタルという中にある形を私なりに利用してやろうじゃないかと思った。
デジタルでも本当の温度みたいなもの、場所作れるんだぞ!と証明してやりたかった。というよりも私とファンの間ならデジタルを超えた形を作れると確信していたから。もちろんそこには私とファン(今の日本語にはファンという言葉しか見つからずどうしても浅く聞こえてしまうことがネック)といういわゆる芸能人と一般人ということではなく、「私とあなた」という関係こそがあって成り立つ。私はその関係をデジタルというツールを使って長い間一人一人と深めてきた。といっても5年くらいのことではあるが、23歳の頃から芸能人としてメディアに露出することも増え、肩書き「芸能人」として生きることになった。いわゆる世の中のいう芸能人になり、芸能界という場所で本来の自分自身を確認することができずにいた。メディアでの瞬間、瞬間の露出の結果だけで自分自身を判断され、ハーフというものが流行ってはメディアの求めるハーフ枠として生きる選択しかなかった。

 

自分の思う自分と他人の思う自分の温度差に息苦しさを感じては世の中のいう’‘売れた、売れてない’‘でしか、人を判断することができないこの世界のあり方に、その中にいながら違和感をずっと感じていた。芸能界という世界で自分の正しさを見つけることは難しくて何度も芸能界というものを辞めてしまいたいと思った。それでも辞めることをしなかったのは、できなかったのは、ファンの存在だった。そこには私達にしか分からない確実な温度があったからでその温度は芸能人と一般人とかいう線ではなく、人と人としての繋がりだった。

 

あの頃流行ったブログでしか自分の存在を確認することしかできず、毎日言葉を綴っては私がラブリに大丈夫だよ〜と言い聞かせていた。事務所に届くファンレターはどれも「あなたの言葉で考え方が変わった」「自分自身を見つけれそう」「気持ちを伝えれるようになった」などその子自身の言葉で書かれてあり、そんな言葉を見て
私の言葉は誰かの言葉になっているのかもしれないと思い始めた。その頃から自分の言葉への責任意識が生まれ、自分が大切にできていると思えるものはファンの子達だけだった。この関係性さえ私達だけの間だけで深いものにすれば、外側にいる’‘売れた、売れてない’‘基準の大人達に邪魔されることないと思った。
私はラブリという人間を冷静に客観的に見ては、「このままの形」でこの中にいてもいつまでたってもハーフタレント・芸能人というサランラップみたいなつるつるした表面でしか人に判断されず永遠にそこで生き続けないといけない。それは本来あった精神性、人間性を無意識に失ってしまうことだと思った。そうなる前に形を変えてこの中にこの世界に戻ってこないといけないと思った。ようするにそれは「本来の自分自身のあり方」に戻るということだった。「形を変える」というのは自分自身に対しての最大の優しさと気付きであった。いわゆる自分の思う正しい「自分らしさ」というものを考えてはそこに対して正直に自分に’‘判断’‘してあげるということだった。長期計画とも言える「本来の自分自身のあり方」の着地点を考えると当然ながらこのままの形でいることはできなかった。とは故、その頃の自分の形を変えることは勇気も必要だったし、同時に自分を無理矢理にでも信じることも必要だった。自分の新たな形の為に減らしたテレビによって‘’消えた‘’やら‘’売れなくなった‘’やら言う表面的な判断をする人間もいたけれど私は怖くなかった。それは「本来の自分自身へのあり方」へ戻るということであったし、そこに信頼関係を深めているファンがいたから。私が形を変えたところで私のことを表面的に判断するような関係ではなくなっていたのだから。そこにはもうすでに芸能人と一般人という線はなく「あなたと私」がお互いの認識があった。‘’売れた‘’‘’売れてない‘’が自分自身の人間性を判断するのでなはいと気付いていた私にとってそれこそが私への唯一の自信であったし、私が芸能人を例え辞めたとしても、信頼関係さえあればその関係は続いていくものなのだ。それは私がこの芸能界に私を証明できる一つの関係でありこの世界への逆転の発想だった。

 

誰もやっていない形を作ることは勇気のあることでそれなりの覚悟がいる。でもそれ以上に友人でも家族でもないのに深い繋がりのある不思議なこの関係はもしかしたら深くなりながらも大きく拡大していくのでないかと思っていた。そんな関係を私達で守りながら、人と人との繋がりを拡大していくために「KILIG」という場所を作った。フィリピンのルーツを持つ私がフィリピン語から取って名付けたその意味は‘’言葉にできない気持ち、蝶々舞う気持ち‘’という意味があり私達そのものだった。
そうして「KILIG」は誕生し私達の場所となり、私達のものになった。

 

中身はよりお互いが私達を感じることができるような特別な空間にしSNSには流すことのない写真やより日常に近い言葉などを写真などや、私が作る様々な作品などの過程を世間に発表する前に「KILIG」のみんなは作品を公開し、みんなで共有している。それは作品作りに関わっているような気持ちを体感してほしいという想いからだった。様々な活動を形に変えてはその形をみんなで共有し、「KILIG」でしかできない企画を常に考えて実現させている。本の朗読会では言葉耳で読む体験を、バスツアーではみんなと半日を過ごし関係を深めるきっかけとなった。フリーマーケットでは私のお洋服をみんなに私が販売員となりその売上をフィリピンでの社会貢献費に回し‘’いいお金は循環する‘’という経験を体感してもらった。仕事現場に招待したりもした。仕事の裏側を見せることによって色んな人たち関わって一つの仕事ができているということを伝えたかった、モデルの仕事は華やかなものでなくあくまでも仕事の一つでありどの職業も同じであるということも伝えたかった。そしてなにより「やりたいことが見つからない」「やりたいことが分からない」という気持ちを多く聞いていたからこそ新しい仕事への興味のきっかけにもなってほしいという思いもあった。時には私が「KILIG」の子達をスタジオで撮影し、コンプレックスというものは自分自身のものでしかないこと、あなたとわたしという関係を写真を通して伝えたかった。そうしたきっかけにもなってほしいという企画だけでなく、ただ楽しく過ごすという50人カラオケ大会や代々木公園でのピクニックでは30人大縄跳びなどみんなで企画作りなどもした。

 

知ってほしいのはここにいる「KILIG」全員が他人であってもうすでに他人ではないということ、無意識に世の中が作り出した社会を超えた関係が「KILIG」には存在し出来上がっている。この場所を通して人と人は出会い、様々な出来事を体験し、体感し、経験となって、みんなで共有しているからこそ、共有は様々な感情に変わるとそれは意識となり人へと伝わっていく。

 

「KILIG」という場所は現代のシステムを最大限に利用しながらも確実に目に見える温度があるデジタルツールであり個人の未来の未知なる可能性をもった形であると
私は思っています。全国に「KILIG」という共に生きる形の関係を持つ人がいる。「あなたと私」人と人は繋がっていることで成り立ち、広がっていき、想いがある限り終わることはなく広がり続けていく、私達がみんなを通して自分自身を感じることができ、明日の選択さえも変わっていく。「KILIG」という場所を通してこの世の中に個人が個人へ伝えていくことのできる関係、新しい私達、それが「KILIG」であり、これからの新しい社会のあり方になると私は思っているのです。

 

そして私は「本来の私のあり方」を見つけることができたわけで
それは自分の思う正しい判断をし続けてきたからだと思う。
これからも客観的思考を忘れず自分の側面を見落とすことなく、
自分という人間を最大限にちゃんと利用してあげること。

 

私を生かしてあげること。
そしてその先にその人自身を生かしていること。
お互いを生かし合うこと。

 

私ができることを様々な形に変えて表現し発信していくこと。
「私」から「私達」へ。そして私達でできる社会貢献を。

 

未来は私達が作るんだ、作れるんだよ。
そこで生まれる発見と感情をみんなで共有しよう。

 

ラブリ・白濱イズミ